礼拝
友納靖史
常盤台バプテスト教会 2026.9.20 主日礼拝 ヨハネ福音書講解(55)「私たちの内に、いつもシャローム」友納靖史牧師【ヨハネによる福音書 20章19~29節】(新共同訳 新約P.210)
- 音声メッセージ
礼拝終了後掲載いたします。通信料が心配な方はこちらからご視聴ください。- 礼拝プログラム
- 前奏
招詞 フィリピの信徒への手紙 4章5節b~7節 司式者
祈祷 司式者
賛美 新生515番「静けき河の岸辺を」
主の祈り
献金感謝
聖書 ヨハネによる福音書 20章19~29節
特別賛美 “深い罪になやむ時” 聖歌隊
宣教 ヨハネ福音書講解(55)「私たちの内に、いつもシャローム」 友納靖史牧師
祈祷
賛美 新生641番「尽きせぬ主の愛」
頌栄 新生672番「ものみなたたえよ」
祝祷
後奏 - 宣教概要
- 主イエスが十字架で死に、墓に葬られ、日曜の早朝に復活されたと聞いた弟子たち。イエスの遺体が彼らに盗まれたとのうわさ話〈マタ28:13〉もあって家の戸の鍵を固く閉め、同胞ユダヤ人から身を隠していました。そこに復活の主イエスが現われ、彼らの真ん中に立って言われたのです。「あなたがたにシャローム(全人的な平和・平安:新約のギリシア語では“エイレーネー”)があるように」と。恐れ戸惑う弟子たちは、十字架で釘打たれた主の痛々しい手と、槍で刺され血を流された脇腹の傷跡を見て、目の前におられるお方が、本当にあの主イエスご自身であると確信を得て喜びました。
その彼らに主は再び「あなたがたにシャロームがあるように」と言われ、ヨハネ福音書の大宣教命令とされる宣言をされたのです。「父がわたしをお遣わしになったように、わたしもあなたがたを遣わす」。これは父なる神が御子イエスを地上に遣わされた目的とは「イエスが救い主であると信じ、永遠のいのちを得るため(参照:ヨハ20:31)」であったこと。更にこの福音を世界中へ伝えるため、次に主が弟子たちを遣わす番であるとの宣言でした。
次に主は弟子たちに「息を吹きかけ」ます。この行為は彼らが後に聖霊を受けたように(使2:1-4)、実は神の息(プニューマ:ヘブ語ルーアハ〈息・霊・風〉の意)を吹き込み、あの天地創造において人(アダム)が生きる者として誕生した姿と重なります(創2:7)。こうして主は驚くべきことを語られました。「聖霊を受けなさい。だれの罪でも、あなたがたが赦せば〈ギ語:開放する・手放すなら〉、その罪は赦される。だれの罪でも、あなたがたが赦さなければ〈留めおく・保持するなら〉、赦されないまま残る」(20:22-23)と。この驚くべき教えには実に深い意味が込められていました。「赦しForgive:神の裁きに委ねて赦す、信仰の決断」と「許しPardon:法的裁きに委ねる」。これらの最終的な裁きと赦しの権威は神が持っておられます(マル2:5-7)。確かに主は弟子達に「七の七十倍までも赦し(forgive)なさい」(マタ18:22)と勧め、相手がどうであっても主の教えた十字架の赦しの福音と信仰に立って歩むことを勧められました。しかし今日の箇所で主は、宣教の業を担う弟子たちの内に「シャローム:心の平安」を満たす知恵を与えようとされたのです。つまりそれは、弟子達自身が他者から、いわれのない憎しみや迫害に遭遇する時、決して相手の憎しみを抱え続けて歩まず、日々新たに〈再創造〉される恵みを語られたのです。
かつてパウロが第一宣教旅行中、アンティオキアにおいて福音をめぐって反対・迫害が起こり、バルナバと共にその人々の許を去って、次なる宣教地イコニオンへ移って行く際、主が「足の埃(塵)を払い落とし立ち去れ(マタ10:14他)」と教えられた教えに従う姿が証言されています(使13:13-52)。「足の埃を払い落とす」とは少々乱暴に聞こえますが、22・23節にある赦し手放す教えと響き合います。この出来事をパウロ達から聞いた弟子達の心と魂にもシャローム(平和と平安)があった姿を、「喜びと聖霊に満たされていた(使13:52)」とルカは証言しました。
復活の日の夕方、留守をしたトマスは、自分だけが主イエスに会えず、疑いと痛みが彼の心を支配していました。そのトマスに主は現れてくださり、彼は信じる者へと変えられていったのです。このように弟子やトマスだけでなく(20:26)、心の内が不信と痛みで満たされるとき主は「シャロームがあるように」と固く閉ざされた私たちの中心に立ち、語りかけてくださいます。うわさ話や真実でない事柄に右往左往しがちな私たち。しかし復活された主イエスがいつも共におられ、聖霊の力によって、私たちの内に「シャローム(平和・平安)」を注がれる愛と恵みに感謝して歩みましょう。
「だから、キリストと結ばれる人はだれでも、新しく創造された者なのです…」(コリント二5:17)。